サマーディ(三昧)とは?|ヨーガスートラ3章3節
「ヨーガスートラ」から、アシュターンガ・ヨーガ(ヨガ八支則)に関するスートラを確認しています。
この連載「まいにちスートラ」では、ヨガ八支則について、三つめの「アーサナ(坐法)」から掲載を始めました。
以下に記事をまとめてみます。
- 2章46節 アーサナ(坐法)の定義 |読む▶
- 2章47節 アーサナ(坐法)の成立と完成の条件|読む▶
- 2章48節 アーサナ(坐法)の効果|読む▶
- 2章49節 プラーナーヤーマ(呼吸法)の定義|読む▶
- 2章50節 プラーナーヤーマ(呼吸法)の実践方法|読む▶
- 2章51節 プラーナーヤーマ(呼吸法)の完成|読む▶
- 2章52節 プラーナーヤーマ(呼吸法)の効果1|読む▶
- 2章53節 プラーナーヤーマ(呼吸法)の効果2|読む▶
- 2章54節 プラティヤーハーラ(制感)の定義|読む▶
- 2章55節 プラティヤーハーラ(制感)の効果|読む▶
- 3章1節 ダーラナー(集中)の定義|読む▶
- 3章2節 ディヤーナ(瞑想)の定義|読む▶
- 3章3節 サマーディ(三昧)の定義|この記事
「ヨーガスートラ」第2章では、ヨガ八支則のうち、アーサナ(坐法)、プラーナーヤーマ(呼吸法)、プラティヤーハーラ(制感)に関しては、定義、効果などと複数のスートラにわたって述べられました。
ところが、第3章に入ると様相が変わってきます。
ダーラナー(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)と、残りの三部門の定義のみが、1つずつ簡潔なスートラで続けざまに繰り出されます。
まるでたたみかけるかのような連打です。そのインパクトは相当なもの。
「ヨーガスートラ」編纂者であるパタンジャリ先生の思いを汲みたいところです。
ヨーガスートラ第1章1節において、註解者ヴィヤーサ先生は「ヨーガとはサマーディである」と解説していますから、サマーディの定義を述べる第3章3節は、非常に重要なものになります。
ヨーガスートラ第3章3節|サマーディ(三昧)の定義
音|3-3
tadevārthamātranirbhāsaṃ svarūpaśūnyamiva samādhiḥ
タデーヴァールタ マートラ ニルバーサン スヴァルーパ シューンニャミヴァ サマーディヒ
言葉|3-3
tat-eva-artha-mātra-nirbhāsaṃ svarūpa-śūnyam-iva samādhiḥ
- tat:それ
- eva:このように、まさに、ちょうど
- artha-mātra:物それ自体のみなる、唯物の[形]
- nirbhāsam:光輝、出現
- svarūpa:自身の姿、本来の姿、本来の状態
- śūnya:空虚な場所、非存在、空
- iva:~のよう、あたかも、実に
- samādhi:深い瞑想、三昧、サマーディ
意味|3-3
ディヤーナ(瞑想)における対象のみが光り輝き、(瞑想の)本来の在り方が無くなったかのような状態をサマーディ(三昧)という
ヨガ八支則の三昧(さんまい)とは、サマーディの音を写したもの
“samādhi(サマーディ)”の日本語訳で最も採用率が高いのが、「三昧(さんまい)」です。
三昧といえば、贅沢三昧、読書三昧、などのように、「ざんまい」と読んでしまいがちですが、ヨーガや仏教の文脈では「さんまい」が正しい読み方です。
「三昧」は、サンスクリットの”samādhi(サマーディ)”を音写したものです。
音写とは、ある特定の言語の音を、他の言語の文字を用いて書きうつすことです。
ここでは、サンスクリット(梵語)の音である「さまーでぃ」を、漢語の漢字「三昧」を用いて表現しています。
この「三昧」を日本語でそのまま読むと「さんまい」となります。
このような音写が行われたのには、仏教がインドから中国・漢語圏に伝わったという歴史的な経緯があります。
サマーディの音写には他に、「三摩地(さんまじ)」、「三摩提(さんまだい)」などがあります。
“samādhi(サマーディ)”の意味内容を重視した意訳には、「等持(とうじ)」「定(じょう)」があります。
三昧を「ざんまい」と言っても間違いではないでしょうが、ヨガの先生としては「残念」な感じ…。
「三昧」と書いて「さまーでぃ」と読む、としてもよいのでしょうが、いっそそのまま「サマーディ」と紹介したほうが、潔い気もいたします。
サマーディとは、瞑想が、瞑想の姿でなくなる状態
「ヨーガスートラ」では、「サマーディ(三昧)」は、どのように定義されているのでしょうか。
第3章3節をサンスクリットから直訳してみると、
「まさにその事のみが光り輝き本来の姿が空の如くになるのがサマーディ」
となります。
ここでいう「その事」とは、3章1節と3章2節で述べられた、集中や瞑想の「対象」のことです。
先行研究においてはこの解釈で一致しており、文脈からも間違いないでしょう。
問題は、空の如く(空っぽのようになった)「本来の姿」”svarūpa(スヴァルーパ)”が、何についての「本来の姿」を指すかです。
先行研究では、3章2節におけるプラッティヤヤ(想念)、ディヤーナ(瞑想)、瞑想者、特に指定なし、と、解釈が分かれます。
サンスクリットの言葉の意味の重層性を鑑みれば、これら全てが正解なのであろうと思われます。
なお、インドのヨガ指導者認定規格QCIのテキストには、第3章3節のサマーディについて以下のように解説されています。
「瞑想者、瞑想の対象、瞑想の過程のうち、瞑想の対象だけが現れて他はなくなってしまったかのようになる」。
これは私にとって、非常に納得感のある解説でした。
チッタ(心)をひとつの対象に結び付け集中し、それを持続させて瞑想へと進んでいくと、やがてその対象だけが光り輝き、その他は “śūnya(シューンニャ)”「空」、つまり存在しないような状態になり、この状態をサマーディだ、と「ヨーガスートラ」は定義しているのです。
まとめ|ヨーガスートラ3章3節
瞑想の対象だけが光り輝き、瞑想という本来の在り方が無くなったかのような状態が、サマーディです。
瞑想が極まると瞑想の形態ではなくなる、というのが、第3章3節の意味するところであり、ヨーガが目指す状態です。
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それでは、本日はここまで。次回をお楽しみに。
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参考文献・資料
- Sage Patanjali’s Yogasutras – Chanting by Dr Rajani Pradhan
Youtube動画、広告表示あり。女性の声。 - 『サンスクリット全解 ヨーガ・スートラ「講義」 附:ヨーガスートラを読むためのサンスクリット講義』 菅原誠 NextPublishing Authors Press (2021)
- 『Certificate of Yoga Professionals: Official Guidebook』 Excel Books (2016)
- 『図説ヨーガ・スートラ』 伊藤 武 出帆新社 (2016)
- 『やさしく学ぶヨガ哲学 ヨーガスートラ』 向井田みお アンダーザライト (2015)
- 『ヨーガ・スートラ パタンジャリ哲学の精髄 原典・全訳・注釈付』 アニル・ヴィディヤーランカール(著), 中島巖(編訳) 東方出版 (2014)
- 『漢訳対照 梵和大辞典』 荻原雲来, 鈴木学術財団 山喜房佛書林 (2012)
- 『インテグラル・ヨーガ―パタンジャリのヨーガ・スートラ』 スワミ・サッチダーナンダ めるくまーる (2008)
- 『ヨーガとサーンキヤの思想』 中村元 春秋社 (1996)
- 『解説ヨーガ・スートラ』 佐保田鶴治 平川出版社 (1983)
- 『ヨーガ書註解 – 試訳と研究 』 本多恵 平楽寺書店 (1978)
- 『中公バックス世界の名著1バラモン教典・原始仏典』 中央公論社 (1969)