ヨガ哲学「パンチャ・コーシャ」の謎~5つの鞘の由来と成り立ち

パンチャ・コーシャ(5つの鞘)の謎~由来と成り立ち、ヨガとの関連は?

ヨガ哲学で学ぶインド由来の人間観に、「パンチャ・コーシャ」というものがあります。
パンチャ・コーシャ理論とは、人間の本来の自己は5つの層で覆われている、とする考え方です。
「5つの鞘」や、「人間五臓説」などとも呼ばれます。

パンチャ・コーシャは、ヨガインストラクター養成講座でのお決まりの学習トピックです。
しかしながら、ヨガの根本経典「ヨーガ・スートラ」には、一切、登場しません。

では、パンチャ・コーシャの元々の出典や由来、成り立ちはどうなっているのでしょうか。
また、どのような経緯でヨーガと結び付けられたのかも、気になるところです。

文献をたどりながら、パンチャ・コーシャの成り立ちについて、一緒に確認してまいりましょう。
ヨガインストラクターさん、ヨガ哲学を学びたい人におすすめの記事になっています。

ざっくりおさらい! パンチャ・コーシャ(5つの鞘)とは?

サンスクリットでパンチャは5、コーシャは鞘(さや)、カバー、覆い、という意味です。
パンチャ・コーシャ理論とは、「本来の自己は、5層のコーシャ(鞘)に覆われている」とするインドの思想です。

鞘(さや)とは、中に物が納まる、外側の覆(おお)いのことです。
刀の刃を収めて保護するカバーが鞘です。
日本語では、仲たがいをしたカップルが元通りになる様子を表現して「もとの鞘におさまる」と言ったりもします。

5つのコーシャ(鞘)をおさらい!

5つのコーシャ(鞘)は、外側の層から順に、以下の5つです。

  • アンナマヤ・コーシャ|肉体の鞘
    解剖学レベルでの実存です。
    食物からなる鞘、食物で出来たカバー、食物鞘とも呼ばれます。
  • プラーナマヤ・コーシャ|生命エネルギーの鞘
    生理学レベルでの実存です。
    生気からなる鞘、生命力のカバー、生気鞘とも呼ばれます。
  • マノーマヤ・コーシャ|心の鞘
    心理学レベルでの実存です。
    思考からなる鞘、五感と心のカバー、意思鞘とも呼ばれます。
  • ヴィッニャーナマヤ・コーシャ|知恵と認識の鞘
    知性レベルでの実存です。
    認識からなる鞘、五感と知性のカバー、理知鞘とも呼ばれます。
  • アーナンダマヤ・コーシャ|喜びの鞘
    普遍レベルでの実存です。
    歓喜からなる鞘、経験と記憶のカバー、歓喜鞘とも呼ばれます。

5つすべてに「~マヤ」がついていますが、これはサンスクリットで「~よりなる」「~からなる」という意味の接尾語です。

ヨーガの実践は、これらの各層が次第に統合され、超越されることで、進行するとされます。

「5つの鞘」は、もともとは「5層のアートマン」だった

パンチャ・コーシャ(5つの鞘)の由来は、紀元前。
ヴェーダ聖典「タイッティーリヤ・ウパニシャッド」における、アートマン5層説です。

「タイッティーリヤ・ウパニシャッド」は、3つの章で構成されており、特に第2章と3章は「命の源は食べ物である」という考えにもとづき展開されます。
第2章では、アートマンは、食物、生気(息)、思考(こころ)、認識、歓喜から成り、歓喜を核心、食物を最外層として、内包関係にあるとする、5層のアートマンについての教えが説かれます。
第3章では、ブラフマンは、食物、生気(息)、思考(こころ)、認識、歓喜であるという5つのブラフマンの教えが説かれます。

アートマンとは、意識の奥深くにある個体としての根源、本来の自己、自己の本体、本質的自己のことで、インド思想における重要な概念です。
日本語では真我、自我、自己などと訳されてきました。

ブラフマンとは、宇宙の根本原理のことです。
個の本体であるアートマンと対をなすインド思想の中心的概念です。
日本語では梵(ぼん)と訳されます。
アートマンとブラフマンは同一であるとするのが、梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想です。

「パンチャ・コーシャ(5つの鞘)」の前身、「5層のアートマン」とは?

それでは、「タイッティーリヤ・ウパニシャッド」の本文で、パンチャ・コーシャの前身である5層のアートマンの教えを確認しましょう。
訳者の湯田豊先生は、5つの層の名称を、それぞれ以下のような日本語で訳しました。

  • アンナマヤ…食物から成る
  • プラーナマヤ…息から成る
  • マノーマヤ…思考から成る
  • ヴィッニャーナマヤ…認識から成る
  • アーナンダマヤ…歓喜から成る

サンスクリットの対訳としての日本語は、訳者によって異なり、読み手にはややこしいのですが、注意深く読み解いてみましょう。

第2章2節
まことに、食物から、生きものは生まれる、大地に宿る、すべてのものが。
それから、食物によってだけ、それらは生き、それから、それらは、最後に食物の中へ入って行く。
なぜなら、食物は生きものの中で最良のものである。
それゆえに、それは一切の薬草であると言われる。
生きものは、食物から生まれ、生まれたものは食物によって生長する。
それらは食べられ、そして生きものを食べる。
それゆえに、それらは食物と言われる。

まことに息から成る自己(アートマン)は、この食物の精髄から成るものと異なり、それの内部にある。
それ(息から成る自己)によって、これ(食物の精髄から成る自己)は満たされている。
まことに、これは、まさに人間の形をしている。…

第2章2節では、アンナマヤ・アートマンと、プラーナマヤ・アートマンについて述べられました。

第2章3節
…まことに、思考から成る自己(アートマン)は、この息から成るものと異なり、それの内部にある。
それ(思考から成る自己)によって、これ(息から成る自己)は満たされている。
まことに、これはまさに人間の形をしている。…

第2章3節では、マノーマヤ・アートマンについて、述べられました。

第2章4節
…まことに認識からなる自己は、この思考から成るものと異なり、それの内部にある。
それ(認識から成る自己)によって、これ(思考からなる自己)は満たされている。
まことに、これはまさに人間の形をしている。…

第2章4節では、ヴィッニャーナマヤ・アートマンについて、述べられました。

第2章5節
…まことに歓喜から成る自己は、この認識から成る自己と異なり、それの内部にある。
それ(認識から成る自己)によって、これ(歓喜から成る自己)は満たされている。
まことに、これはまさに人間の形をしている。…

『ウパニシャッド-翻訳および解説-』 湯田豊 大東出版社 (2000)

第2章5節では、アーナンダマヤ・アートマンについて、述べられました。

「タイッティーリヤ・ウパニシャッド」第2章2節から5節までで、外側のアートマンが内側のアートマンを包み、内側のアートマンは外側のアートマンを満たしているという、アートマンの5層の位置関係が説明されました。

「タイッティーリヤ・ウパニシャッド」では、5つの層を「コーシャ」とは表現していません。
この時代は、5つの鞘ではなく、5層のアートマンだったのです。

ヴェーダーンタ学派で「コーシャ(鞘)」が導入される

では、5層のアートマンが、どのようにして5つのコーシャ(鞘)になったのでしょうか。

「コーシャ(鞘)」という語をアートマン5層説に適用した記述がはっきりと確認できる文献は、15世紀にサダーナンダが記した『ヴェーダーンタ・サーラ』です。
サダーナンダ先生は、ヴェーダーンタ学派のシャンカラ派の学僧です。

ヴェーダーンタ学派とは、古代インドで聖典ヴェーダの権威を認める六派哲学のうちのひとつで、ウパニシャッドの解釈からブラフマンの知識を追求する学派です。
その思想の根幹は梵我一如の一元論で、今につながるインド哲学の主流を形成しました。

後の中世に、ヴェーダーンタ学派から、インド最大の哲学者と呼ばれることもあるシャンカラ(700-750)を輩出。
この初代シャンカラ先生は数多くの聖典を註釈し、不二一元論を確立しました。

パンチャ・コーシャ(5つの鞘)を『ヴェーダーンタ・サーラ』で確認!

さて、そのヴェーダーンタ学派シャンカラ派のサダーナンダ先生が記した『ヴェーダーンタ・サーラ』は、「タイッティーリヤ・ウパニシャッド」のアートマン5層説を骨組みとしています。
『ヴェーダーンタ・サーラ』の日本語訳で、確認してまいりましょう。

訳者である中村 元(はじめ)先生は、5つの鞘の名称をそれぞれを以下のような日本語に訳しました。

  • アンナマヤ…食物より成る
  • プラーナマヤ…生気より成る
  • マノーマヤ…意より成る
  • ヴィッニャーナマヤ…識より成る
  • アーナンダマヤ…歓喜より成る

そして、コーシャは「蓋被」という日本語で表しました。

第46節
その全体は歓喜にみちているが故に、また蓋被のごとく覆うがゆえに、歓喜により成る蓋被である。

第46節では、アーナンダマヤ・コーシャについて述べられました。
後の55節では、アーナンダマヤ・コーシャは、原因としての身体(カーラーナ・シャリーラ)であると述べられます。

第88節
この統覚機能が感覚機官を伴っているときに、それは識よりなる蓋被である。

第90節
しかるに意識が感覚機官をともなっているときは、それは意よりなる蓋被である。

第107節
この呼気等の5つ(の風)が(5つの)行動機官をともなうとき、それは生気より成る蓋被である。

第88、90、107節で、それぞれヴィッニャーナマヤ・コーシャ、マノーマヤ・コーシャ、プラーナマヤ・コーシャが述べられました。
そして、後の113節において、この3つのコーシャが結合したとき、微細な身体(スークシュマ・シャリーラ)になると述べられます。

137節
この総相は、この(普遍我あるいは光輝者の)粗大なる身体であると言われ、食物の変化したものであるから、食物より成る蓋被であると言われ、粗大なるものを享受する拠りどころであるが故に、また覚醒状態であるとも言われる。

『ヴェーダーンタ・サーラ』 サダーナンダ(著), 中村元(訳註) 平楽寺書店 (1962)

第137節では、アンナマヤ・コーシャが述べられ、それは粗大な身体(ストゥーラ・シャリーラ)であると説明されます。

『ヴェーダーンタ・サーラ』の日本語訳の出版は1960年で、すでに絶版となっていますが、国会図書館オンラインで閲覧が可能です。
なお、今、手に取れる日本語の書籍でパンチャ・コーシャを確認するには、ヴェーダ―ンタの入門書とされる「タットヴァ・ボーダ」が手ごろです。
「タットヴァ・ボーダ」は、向井田みお先生の著書『やさしく学ぶYOGA哲学 ウパニシャッド』に収録されています。

「5つの鞘」がヨーガに結び付けられたのは、近代以降か

パンチャ・コーシャ理論は、「ウパニシャッド」に由来する「5層のアートマン」が、ヴェーダーンタ学派において自己の本質・アートマンを分析するための方法論として、「5つの鞘」に変換されたものでした。

では、このパンチャ・コーシャは、いつ、どこでヨーガと関連づけられたのでしょうか。
私が伝え聞いたのは、1980年代のインドで、というところまで。
残念ながら、文献で確認することはできませんでしたので、ここからは、私が想像したこととしてお読みください。

インドにおいてヨガは、アートマンを理解し梵我一如を体得するための精神統一修行であり、ヒンドゥーの宗教的な実践のひとつという側面があります。
そして、ヴェーダーンタは現代のインド思想の主流派ですから、パンチャ・コーシャはインドを代表する人間観、という扱いのはずです。

ヨガの意義や修行進行の様子を、パンチャ・コーシャ理論にあてはめて説明する、という試みがインド国内でなされ、定着したとしても、不自然はなさそうです。

しかし、日本においては、ヨガはアートマンのためではなく、主に実践する人の心身の健康やウェル・ビーイングのために行われます。
アートマンの概念になじみのない日本人にとって、パンチャ・コーシャ理論とヨーガを結びつけるのは、なかなか難しいかもしれませんね。

したがって、日本の人がヨガ哲学を学ぶ時は、まずはヨーガのフィールドで知識を固めていくのがスムーズかと思います。
ヨーガの理論面はヨーガ学派の根本経典「ヨーガ・スートラ」で学べます。
ヨーガの実践面については、ハタ・ヨーガの「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」や「ゲーランダー・サンヒター」などで学べます。

パンチャ・コーシャ、アートマン、ブラフマンについて探究したい人は、ヴェーダーンタのフィールドで学ぶと、理解が深まりそうですね。

まとめ:「5層のアートマン」から「5つの鞘」となり、ヨーガと結びつく

パンチャ・コーシャ(5つの鞘)は、インドの古代聖典ウパニシャッド由来の人間観です。
もともとウパニシャッドでは、コーシャ(鞘)という語は使われず、アートマンの5層状態を表していました。
そして、この5層は中世以降、ヴェーダーンタ学派で発展し、本来の自己・アートマンを内包する5つの鞘、パンチャ・コーシャとなりました。
そして、おそらく近代になって、ヨーガと結び付けられました。

ヨガ哲学としてのパンチャ・コーシャ(5つの鞘)の落としどころは?

私は、養成講座でパンチャ・コーシャを学んだ時、この理論はヨガ八支則にピッタリなじんでないな、と感じました。
5つの鞘の外側から、「肉体」→「生理」→「精神」→「知性」…とアプローチするのは感覚的にわかるのですが、最後に「歓喜」という[感情]がくるのも、構造としてレベルが異なるので、しっくりきませんでした。
モヤモヤした気持ちを抱えながらも、これがインドの思想なのだな、いつか理解できる日が来るのかな、と興味深く思ったものでした。

ヨガには、まずアーサナで目に見える肉体を整えて、次に、プラーナーヤーマで自律神経系を整えて、そして、瞑想で精神を鎮めて…という練習の順番のようなものがあります。
その順番が、コーシャの外側から内側へ、見えるレベルから見えないレベルへ、粗大なものから微細なものへのアプローチなのだと説明されれば、なるほど確かにそうだと思えます。

けれども、日本でヨガをする人の多くはアートマンやブラフマンを知るためにヨガをしているわけではないので、私は、ヨガレッスンで生徒さんにパンチャ・コーシャを紹介することはありません。

とはいえ、実際にヨガインストラクター養成講座の教科書に載っていますし、ヨガインストラクター採用オーディションの試験に出た、という事実も無視できません。
また、ヨガ発祥の地・インド、そしてインドの人々が大切にしている考え方へのリスペクトも失いたくありません。

ということで、私にとってパンチャ・コーシャ(5つの鞘)は、ヨガインストラクターならば抑えておく知識、という認識で落ち着きました。
みなさんは、どう思われますか?

さあ、いかがでしたでしょうか。
パンチャ・コーシャ(5つの鞘、人間五臓説)の由来や、ヨガとの関連について、モヤモヤを感じている人にとって、今回の記事が参考になれば幸いです。

当教室では、時系列と分野がチャンプルー状で、頭のなかでこじれやすいヨガ哲学の世界を、日本人ヨガインストラクター向けに解きほぐして分かりやすくお伝えしています。
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それでは、次回の記事をお楽しみに…!

参考資料

  • 『医療におけるヨーガ 原理と実践』 新倉直樹, 新倉美代子(監修), サット・ビール・シン・カールサ 他 (編集), 吉水 淳子(翻訳) ガイアブックス (2020)
  • 『インド思想入門  ヴェーダとウパニシャッド』 前田專學 春秋社 (2016)
  • 『やさしく学ぶYOGA哲学 ウパニシャッド』 向井田みお アンダーザライト (2009)
  • 『ウパニシャッド-翻訳および解説-』 湯田豊 大東出版社 (2000)
  • 『ウパニシャッドの思想』 中村元 春秋社 (1990)
  • 『ウパデーシャ・サーハスリー』 シャンカラ(著), 前田専学(訳) 岩波書店 (1988)
  • 『ヴェーダーンタ・サーラ』 サダーナンダ(著), 中村元(訳註) 平楽寺書店 (1962)

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